それにしても、何であんなに緊張したのか、自分なりに分析して見ました。腕がこわばって字がうまく書けなかったなんて初めてです。
そして出した結論は、1、気合いの入れ過ぎ。2、場数を充分踏んでなかった。の二つでした。
1については、私は基本的に体育会系で、辛い事や苦しい事を乗り越える時に気合いで何とかしてきた、という経験から、今回も気合いさえ入れれば乗り越えられると思っていました。しかし結果的にそれが、私をして自然体であることや試験に集中することから遠ざけてしまう結果となったような気がします。気合いを入れるということは、それは自然体ではないことを意味する訳ですし、そう考えている分だけ集中が削がれる訳です。今になって考えれば。もっとも途中からはそれがなくなってスムーズに行きはしましたが。
2に関しては、大学入試以来、プレッシャーのかかる試験を受けていなかったこと(卒業試験や調理師試験は、プレッシャーのかかるものではありませんでした)がまずかったと思います。
最初は私の仕事や生活にに関して色々質問されました。自分の事なので問題なく答えました。次のスピーチの課題は、「もし自分で事業を始めるとしたら何をするか」
でした。そして言及すべきポイントは、1、何をやる? 2、どこでやる? 3、それをするには何が必要か?でした。
”ラッキー”私は心の中でほくそ笑みました。私にとっては非常にに答えやすい課題です。3つのポイントに必ず言及するように気をつけて難無く答えました。その後の質疑も、基本的にビジネス関連の話題が中心で、言葉に詰まることもなくこなせました。一ヶ月前に受けた家内への質問は、「自分の子供以外で、知っている子供について話せ」でしたから、それに比べればかなり答えやすかったです。頭の中で日本語を使うこともなく、会話を楽しんで試験が終わりました。
これでもう少し気温が高ければオークランドの夏とそっくりです。仕事の中休み、真夏のアオテアスクエアーで日光浴をしていると日差しが刺すように強く、たまらず木陰に行くと今度は空気がひんやりとしていて汗ばんだ肌が冷えるようだった、そんなことを思い出しました。
また一人で何処かに行きたい、そよ風に木々のざわめく音を聞いていると、そんな衝動が沸き起こってきます。身軽だった昔が懐かしいです。またあの頃のように、後先考えずいろんな所に行ってみたい気がします。もちろん、今は嫁さんと子供もいるのでそんな訳にはいきませんが。
”昔の事(恋?)を懐かしく思うのは、今の自分が幸せだからこそ”とは松任谷由実の曲の一節ですが、確かにこれは真実だと思います。もし今も一人でいたら、一人を有り難いとは思わなかったのではないでしょうか。
それにしてもいい季節です。
目がチカチカしてものが二重に見えるくらいまで根を詰めて仕上げました。急がねばなりません。もう11月も末です。何とかして年内にTRAへの技術査定の申請を済ませたいです。
そしてようやく出来上がった書類を、板前修行をした最初の職場の社長(兼料理長)宛と、その次の職場の料理長宛に郵送しました。これらにサインを頂くわけです。2番目の職場(ホテル)は、既に経営母体が変わっていて、困ったことにGMから雇用証明を入手することは不可能でした。Anneに聞いてみたら、当時一緒に働いていた同僚か料理長のパーソナルレターで代用するしかないということだったので、当時の日本人料理長にお願いしました。この方とは15年たった今でも懇意にさせて頂いているので、事情を説明し、快く引き受けて頂けました。良かったです。人脈とは大事にするものです。この方の居所が分からなかったら立ち往生するところでした。(他にも2人、オークランドで開業している元同僚もいましたが、彼らが私を助けてくれたかどうかは個人的には疑問に思っています。)
丁寧な依頼の手紙を同封してお願いした雇用証明と職務履歴の詳細の文書は、それぞれ程なく送られてきました。ホテルの元料理長からは、励ましの手紙まで頂きました。有り難いです。
そしてそれらの翻訳を明日にでもお願いしようかと思っていた矢先、思わぬ事態が発生しました。こういうのを”不測の事態”とでも言うのでしょうか?エージェントから突然届いたメールを見て、私は椅子から滑り落ちそうになりました。
違いというのは決して悪いということではありません。バイトを始めて1年経ちますが、それぞれのキッチンにベストのやり方があり、ここのキッチンにも、このやり方がやはりベストなのだと思います。どうか誤解のなきようお願いします。
先ず初日にキッチンに行って驚いたのは、徹底した食材管理です。適当に仕入れして適当に使っている今の私の職場とはえらい違いです。料理に使用する分量も全てグラム単位で決まってますし、落としたり焦がしたりしてダメにしてしまった食材も分量を計って全て申告しなくてはなりません。
ハンバーグ類はもちろん、ソースやたれなどは全てセントラルキッチンから送られてくる冷凍ものです。野菜類も、たいがいのものは加工されて来ます。ほとんどを手作りする私の調理場とは違います。しかし今時の冷食は味もよく、侮れません。
総じて感じたのは、経験のないバイトの方でも調理、盛り付けができるよう、実によく工夫されていることでした。
書類作成も早朝だけでなく、夜もすることにしました。
申請書類は、エージェントによれば、英語以外の文書は移民局に認められたプロの翻訳家によって訳されたものであることが必須である。オーストラリア国内から申請するのであれば、National Accreditation Authority for Translators and Interpreters(NAATI)に登録されている翻訳家であること、国外からは、その国に認められた翻訳家であること。だそうです。そう言われても、日本で国から認められたといっても曖昧ですし、万一翻訳された文書が無効だった!なんて事になったら大変なので、NAATIに登録された翻訳家を探すことにしました。その方が移民局の係官にも受けがいいかも知れませんし。
そこでネットで検索。何も分からないことでもとりあえずネットで検索すれば何かしらの情報が得れれます。何と素晴らしい。インターネットは偉大な発明です。ヒットした中で目に留まったのが2件。1件は日本国内、もう一つはオーストラリアの翻訳業者でした。
日本の業者は・・・と見てみると、料金先払いでした。一方オーストラリアの業者は後払いOKとのこと。
Anneに指摘された事をよく考え、今度は思いきり、これでもかっ!てくらい詳しく業務内容からレシピまで記述してみました。例えば、魚のおろし方をウロコを引くところから冊取りまでの手順、茶碗蒸しの蒸し上がりを判断するのに、蒸し器を揺らして卵の表面の揺れ具合で見るとか、ごま豆腐を火から下ろすタイミングを計るのに、ねばり具合や気泡の直径などを見るetc...
早朝からパソコンの前に座って、自分で言うのもなんですが頑張りました。最初の職場の分をとりあえず仕上げてAnneにメールです。これでまだ不十分だったらどうしようかと思っていましたが、無事OKがでました。これを今度は日本文に直すわけです。それがオリジナルということになります。そして同様のものをその他の職場についても仕上げねばなりません。
山登りに例えれば、まだ装備をして登り始めたばかりといったところでしょうか。それでも一人前に疲れてきたのがつらいところです。かといって止めるわけには行きません。先を見るとめげるので、足元を見て一歩一歩登るだけです。
この頃、もう11月の半ばにさしかかっていたと記憶しています。
彼らには、家内に要求された、私が確かにここに泊まっている!という証拠写真を撮ってもらいました。
そして翌朝。テストは午後2時40分からなので時間は充分あります。10時にチェックアウトして、行き場もなかったのでとりあえず大江戸線に乗って時間つぶしです。そしてその間に、仕込んでおいたネタ帳で最後のおさらいです。ネタ帳には、予想される質問とその答えを自分なりにまとめておきました。”印象に残っている映画or 本”とか、”尊敬する人”とかそういった類いのものです。答えは必ずしも自分の意見でなくてもいいので、(御存じの通り、会話が成り立てばいいのですから)答えやすいものを用意しておきました。
電車に乗るとなぜか気分が落ち着きます。
それでもさすがに時間をもてあまし、電車に乗っているのも飽きたのでかなり早かったけれどブリティッシュカウンシルに行くことにしました。ロビーのソファに座ってリラックスするつもりでした。
フェアレディZ32。毎年4月の税金は重加算税を含めて56,000円。ガソリンも遠慮なく吸い込みます。さらには古いクルマ故数々のマイナーな故障、高い車検代など、貯金をする暇がありませんでした。
しかしながら、納得して売り飛ばしたものの、時折街角で見かける彼女の後ろ姿を見ては未練を引きずっている今日この頃です。別れてから思い出すのはいい思い出ばかり。
時折Zで幼稚園に娘を迎えに行って、屋根を開けて遠回りして帰るのが娘のお気に入りでした。高速に乗れば、人に言えないような速度で鬼のような安定性を発揮し、追い越し車線で前車につけば3秒以内に必ず道を開けてくれる、そんなZを愛していました。
分かっています。未練があるのはZそのものではなくて、Zと過ごした日々であることを。クルマは所詮モノですから。でもやっぱりZが好きです。
何よりも所有していることに誇りを感じるクルマでした。
今はエアコンとリヤワイパーの壊れたトヨタス○ーレットに乗っています。悲しい。

在りし日の貴婦人の姿
それでもホテルのチェックインの時間まで何とか暇をつぶして、ホテルに入るなりベッドに横になりました。ホテルと言ってもカプセルですが。
普段所用で東京に来る時は、サウナの仮眠室で夜を明かすのが常ですが、今回は大事な試験ということで少し奮発をしてカプセルホテルに泊まりました。
若い時、私はだいたいどの国に行ってもバックパッカーズの相部屋に泊まりましたし、バイクで北海道に行った時は野宿でした。それを考えれば、カプセルと言えど、個室で休めるのは快適そのものです(相部屋にはまた相部屋の楽しみもあるのですが)。自分専用のテレビもあるし、その気になればえっちビデオだって見れます。おまけに仮眠室では必ずと言っていいほど、いびきの超うるさい人がいますから。
私は解答を書くのに力をいれ過ぎたせいか、肩が痛くて首が廻らないほどだったのでとりあえず風呂に行きたかったのですが、それすらも億劫で、まだ3時過ぎでしたがとにかく寝ることにしました。
スピーキングテストの事は考えられません。このくらいで疲れ果ててしまうとは、私も歳をとったということなのでしょうか?
会話を成り立たすことができるかのテストであり、話した内容は採点の対象外。
得意なトピックスが出たら、話を膨らませてできるだけ長く喋る。
→試験時間は限られているので、不得意なことを聞かれる可能性が低くなる。
試験管の質問が分からなければ、もちろん聞き返してもよい。
考えても答えが見つからなければ、”What do YOU think?と
試験官に逆に聞いてみるのもいいかもしれない。そういう能力もテストのうち。
笑顔、アイコンタクトを忘れずに。
以上が、講義の内容の私が覚えている部分です。
話がそれましたが、とにかく第一日目は終わりました。翌日はスピーキングテストですが、疲れてそんなこと考える気になれません。幸い私の面接時間は午後2時40分からなので、明日起きてから考えても間に合いそうです。今さらやることもないので。
ロビーに貼り出してある面接時間のお知らせを見ると、早い人で朝9時から、最後の人は5時過ぎでした。順番は、受験者をアルファベット順に並べて十何人かで順々に区切っていくので、区切りの一番頭に名前が来れば朝一番、最後になれば夕方5時過ぎになってしまいます。
それにしてもブリティッシュカウンシルの中は、オークランドにいた時少しだけ通った語学学校にそっくりでした。好きです、この匂いと雰囲気が。
60分で2つのエッセイを書くわけですが、講師はこんなことを言っていました。
Task 2について。
まず構想に10分を使う。参考書にはだいたい5分と書いてありますが、彼は10分くらい 使ってもしっかり構成を練るべしと言ってました。しっかり構成されたエッセイは読めばすぐ分かる。試験官はそれを評価する、そうです。
常に2つ以上の角度から問題を検討する。肯定的な面だけでなく否定的な面からも見る。
自分の主張は必ず理由付けをする。
最後の5分で推敲し、しょうもないミスを校正する。
間違えても消しゴムで消さずに、線で消してその後に書き直す。読めさえすればOK。
だそうです。
There are many people who like to read love stories.
この文に関して、以下の文がYes(真実)か、No(真実でない)か、Not given(記述なし)かを問う問題です。(ちなみに例文は忘れてしまったので私の創作ですが、言わんとしていることは同じです。)
The majority of people prefer to read love stories.
皆さんどう思われますか?答えは Yesと思いきや、No だそうです。彼が言うには、many peopleは常にmajorityとは限らない、だそうです。例えば、1万人は many people には違いないが、10万人の中の1万人であれば、それはmajorityとは言えないから、という由。
これが、論理的に考えるということだそうです。複雑です。実際には単文ではなく文章の内容を問われるわけですから、さらに複雑と言わねばなりません。
講師はさらに言いました。全部正解することは不可能だ、と。
でも、40問中25問くらいできればそこそこいいスコアをもらえるので、深刻に考えることはなさそうです。
(この講義はAcademic Moduleの講議でしたが、General Trainingの方にも充分参考になると思います)。
リスニングはほとんど聞いていません。
リーディングについて;
1,Skimming,Scanningをマスターしないと時間内に全部解答することは難しい。Skimmingとは、問題文を斜め読みしておおまかな意味をつかみとること、Scanningとは新聞のTV欄から目当ての番組のタイトルを捜し出すようなもの。問題文を端から全部読んでいる時間はない。
2,解答を記入するに当たっては、数字は必ずアラビア数字で書き、文字で書かない。つづりを間違えれば得点にはならない。時間の推移を示すtoは、- で代用する。(3 to 4 hours ではなく、3-4 hours と書く。)
講師がこう説明した時に、受講生の一人が鋭い質問をしました。
それはともかく、しばらくすると、近くの一角で日本のとあるエージェントの、個別移住相談のようなものが始まりました。聞くともなしに聞いていると、カナダへの永住権を申請したいという方の相談が耳に入ってきました。私はカナダの事は詳しくありませんが、家内の弟が2年程前にやはり永住権を申請して、先日ようやくビザ発給の通知が来たところです。しかし、すぐもらえるわけではなく、今後移民局からの手紙を待ってそれから健康診断を受けなければならないというようなことでした。この辺の事実関係ははっきりしませんが。
ただ、彼が申請してから今回の通知まで2年かかっています。昨年、あまりに遅いので移民局に問い合わせたところ、現在(2005年当時)2003年申請分の審査を行っているところだと言われたそうです。
話がずれました。ソファでぐったりしてたら、次の相談の人と間違われたので、私はロビー中央の方へ移動しました。その奥では、IELTS受験の傾向と対策のような講議をやっていました。おそらくこれはブリティッシュカウンシルのIELTS受験コースの講議だと思われますが、ロビーの奥半分を使って行われているので、実質誰でも聴講することができます。この4週間前、家内についてきた時もやっていましたが、これが非常に参考になる有益な講議なのです。
それでも、申請書類の準備やIELTSの勉強をしていた頃に比べれば、精神的にははるかに楽々としています。この先、最後の砦として健康診断と(これに引っかかる方もいるそうですが)無犯罪証明書の提出をクリアすれば、晴れて永住権を手にすることができます。勿論、私の職業がオンデマンドリストから外れることがなく、パスマーク(合格点数)が5点以上上がらないことが条件ですが。しかし、現在の情勢(オーストラリアの景気の動向、移民局の動きなど)を見る限り、楽観的でいられそうです。
今は、おそらく最後になるであろう日本での春から初夏への季節の移ろいと、その中で嬉々として遊ぶ子供達の姿を心に刻みつけたい、そんな心境です。中学校の卒業文集に、将来はオーストラリアに行って日本語の先生になりたいと書いたことを思い出します。紆余曲折の末、職業は違いますが、それが現実となりつつあることに不思議な感慨を覚えます。
しかしながら正直に言いますと、本当はニュージーランドに行きたかったのです。それが何故オーストラリアの永住権を申請することになったのか、それは機会を見ておいおい書かせて頂きたいと思います。
しかもそれをそれぞれの職場(現在のそれを含めて3か所)について書かなければいけません。・・・途方に暮れている場合でもないので、書いてみました。文法的に誤りのない英文を書くというのは大変骨が折れます。その上、自分で誤りがないと思っても、日本語と違って自分では分かりませんから。
書いたのは、取り敢えず最初の職場での業務内容の箇条書き(仕込み、調理、)、代表的料理のレシピそして調理器具の名前です。それをワードの文書でメールに添付して送りました。これを作るのに一週間くらいはかかったと思います。
そしてAnneから返送されてきたワード文書は、赤い字でいっぱいに添削がしてありました。
こんなんじゃ話にならない、そんな感じで多くの注意書きがありました。
ただリストを書き連ねるだけではなく、それぞれに細かな説明が必要であるとのことでした。
おまけにこんなことまで書かれていました。
「TRAの査定は比較的厳しくて、パスするためには、求められている記述すべき内容を、確実に満たす必要があります。」だって。
まずは英和辞典の巻末付録を参照して、英国式の雇用証明書(Employment Reference)の作成です。これを仕上げてAnneに添削してもらい、良ければ日本語に直し、(こうするとフォーマットが英国式で文章は日本語という少し変わった文書の体裁になります。しかし提出するのが英文で、専門の翻訳家によって翻訳されていることが必須なので、結局スムーズに事が運ぶと判断しました。)そしてそれをその通り書いてくれるよう、以前の職場にお願いする
わけです。何といっても証明書に盛り込む内容が複雑なので、記入漏れがあって書き直しをお願いすることは避けなければいけません。そうして出来上がった書類に社長の印鑑が押してあれば、書かれた内容に同意して頂いたことになり、法律上有効な雇用証明書になるわけです。(実際、事実しか書きませんでしたから。)
メールに添付してAnneに送った草案は、幸い細かな修正のみでOKが出ました。
それをひな形に、まず私の一番最初の職場、4年間のつらい板前修行をした所に作成のお願いです。社長は料理長でもあり、言わば私の師匠です。・・・気が進みません。つらい思い出だけしかないあの頃。その象徴的存在であるその師匠にもう一度コンタクトを取らなくてはいけないとは。
しかしその前にもう一つ、難儀な書類作成があります。職務内容の詳細を別紙で作成しなくてはいけないのです。具体的かつ詳細な職務の内容と、使用した調理器具のリスト等をまずは英文で書かなくてはいけません。しかし実際、どのように記述すれば良いのか・・・
取り敢えずAnneに聞いてみました。


